ジャック・レダ著/堀江敏幸訳『パリの廃墟』(みすず書房、2001)

 鉄のごとく鍛えられていてひとでも歩けそうな水のうえには、しかし誰もいない。ざっと見わたして端まで三百歩以上はあろうかという舗石を敷きつめた埠頭の、運河からも壁からも——積みあげられた石の、まず届きそうにないあたりに苔が生えていることからいくつか足場があると知れる壁からも——等距離にある地点でわたしが出くわすのは、ぽつんとひとつ、地面に投げ捨てられたばかりの松葉杖だけだ。躓きこそすれ、私は後戻りしないだろう。バスチーユから降りてくる階段とはもうずいぶん離れているし、あの円柱は、坂もなければ中心もない、ふやけた大気のなかで難破しているかのように見える。ならばいっそのことこの堀や、固い水面や、犯罪が繰りひろげられたあの広場のわきに留まるほうがいい。恐怖も薄らいできているからだ。向こう岸では、草を食む巨大な牛の息のような音を立てている機関室の近くで、黄と青の服に身を包んだ男たちが動きまわっている。なにか不幸が起きたとき力になってくれるわけではないにせよ、彼らがいてくれるだけで気持ちが落ちつくのだ(かくて私は、幾多の悲劇のイマージュをくぐりぬけ、まさにその悲劇によってここに送り込まれたいまわしい物体を迂回しつつ、水門と薄暗い暗渠が口を開けているほうへと歩いていく)。 ——「音もなく、ほとんど言葉もなく」p.23

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