デジタルのエクリチュール

(こんにちは。新型コロナ感染症について不安が広まっているここ最近、随所々々にユーモアの必要性を考えますが、わたしには現実にお目にかかる以外に、ユーモラスにいる能力はもっていないのでとてもざんねん。

どうか、読んでくださっているかたがたはご自愛をくれぐれもお願いいたします。)

 ここのところ、スマートフォン、タブレットをだらだらと触る癖が心身を疲弊させているように思えたので、できることはすべてパソコン、また手書きを取り入れています。だから、いまパソコンから打っています。いまでは手書きのほうが比較的楽に思えるときもあります。


 去る2月21日(金)18:00から慶應アートセンターで瀧口修造をめぐるトークイヴェントに行ってきました。

「手作り本」という瀧口が残した、冊子(なかにはメモ帳)の展示の一環で、そこで交わされた討議は、瀧口修造への理解にとっても、また書く行為より以前のメディア(へんないいかた)を考えているわたしにとっても、その核心への滋養を根本に注入できた気持ちでいます。


 上記2つ、またお気に入りのコンバーター式ガラスペンを使い始めたことも相俟って、ノートをつけはじめました。雑記、それからコレクトの情報カードにおおまかな1日のマップを記すことが、いまではほぼルーティンになってきました。


 アナログに何らかの憧憬をこめて回帰しているわけではなくその点においては慎重にいたいと思うのですが、手書きはさまざまな要素が加わる、ということがひとつ再発見でした。


 まず使用する筆記具——鉛筆なのか、シャープペンなのか、フリクション、ゲルインキ、油性ボールペン、万年筆ほか——によって、書記をする身体へかかるテンションは大きいということ。

 わたしが紙に書くきっかけとなったのは万年筆と構造が似たガラスペンでインクの体験をしてみたかったからなのですが、インクで文字を記すことはさまざまな制約があることに気づきました。


 まず当然、誤字や誤記になっていても直せない。必ず消した痕跡が残ってしまう。デジタル端末で打ち込む活字に慣れていて、その延長で消せるボールペンを使っていたので、こんな当たり前のことからして、わたしにとっては新鮮でした。


 そしてこのことに瀧口修造トークイヴェントで話されたトピックは大きく影響を受けることになるのですが、その前にインクで文字を記すときの特徴をもう少し書いてみます。


 まず筆記するスピードです。これは先ほど挙げた筆記具というメディアにより多様ですが、消すことが可能なフリクションを長年使っていたため、文字を慎重に書くこと、つまり「必ず残るもの」という意識が非常に薄く、すらすらとペン先を走らせ、乱暴な書き殴りもしました。それがインクでは、出方によっては文字が掠れてしまい、消せずに残るという意識が強いため、1文字単位に集中する。すると、とても遅くなる。


 それから情報量。デジタルのほうが圧倒的に制約がなく、多くの書き込みができる。紙に筆記するときは——これも瀧口イヴェントのとき鈴木一平さんが指摘していらしたことですが——紙のサイズの制約が入る。つまり、その紙で可読性を保って書くためには文字の大きさも、また必然的に分量も決まってしまう。

 そのこともわたしにとっては新鮮です。


 てきとうに書き連ねますが(デジタルだから!)おそらく文章の構築以外に、なんと言えばいいのだろう、指向する要素が多く噛むのだろうと思います。このあたりはもう少しなにか言えるといいのだけれど。


 長くなったので締めたいですが、ひとつだけ言い残したいのは、わたしがやりたいのはアナログへの回帰ではなく、アナログに複数のレイヤーをあらためてかけてみたい、という気持ちなのです。あえて手書きのものを画像に直して伝達方法にするという洗濯もささやかながらそのひとつです。


 これまでメモ、アイディア、書記、構成、推敲のすべてをデジタルでやり、またデジタルでなければいやだ、とまで思っていましたが、どこかの段階でアナログの要素を投げ入れるのもまた、トライとしては面白いだろうと思っています(できればWORKsも近日追加をしたいです。)


長々しく、由無し事を書きました。

お読みすてください。



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