覚え書き、1





 詩篇をメインに書いていると言えるようになったのは、つい最近です。以前はじぶんの書く「詩」と思っているものに長いこと疑念の目を向けていました。

じっさい現在も、たぶん詩と呼んでもいいのかもしれない、だめだと言われたら詩と言い張ろう、と腹だけ括っただけかもしれません。


 小学校3年生くらいのとき、貯めたお年玉で当時相当大きなワードプロセッサーを買いました。小学校3年のからだには重く、階下に運んでくるにもたいへんでした。わがことながら同情します。

そのころから立派な作文などが書けていたら人生に華もあったのですが、好きなアニメの好きなシーンを延々つなげて書く、ということをしていました。そのシーンが繰り返し定期的に登場するように工夫しながらひとつの物語として書いていく、ちょっとへんな作業が大好きでした。いまなら二次創作にあたるかもしれないです。


 そののちになってはじめて自分で思い描いた物語を書いてみることに没頭しました。

 とにかく物語がないといけないと思っていました。

 文章なら何でも好きで、とくにことわざ辞典はいつも手元に置いてめくっていました。父親が持っていた官能小説も読んだ。エロかったです。


 そのなかには詩もありました。

 航海中に行方知れずになった叔父が詩人として活動していましたことからか、詩集はいま思えば家にあったほうだったのかもしれません。大人になってから叔父が「VOU」の同人だったことを知り、ふうん親戚にしてはナイスなことをしましたな、とうえから目線で思っています(!)

 それは冗談ですが、ざんねんながらどなたのなんの詩集を読んでいたのか覚えていませんが、そのとき言葉の魔力にとりつかれていたのはたしかです。ただ、説明がむずかしいですが、詩作品にうける途方もない言葉の力をジャンルとしては認識できず、つくるものだとは思えなかった。文学の迫力をただ叩き込まれた、という感じでした。

 余談ですが、叔父の遺品は死亡届が出されたときにほぼすべて処分されましたが、『稲垣足穂全集』と『桑原武夫著作集』は残っていることを近年知りました。もしわたしが読んだ詩集が稲垣足穂だったなら鼻にかけまくるところですが、ざんねんながら忘却の彼方です……。


 もとい。


 そんなわけで文学=小説、という図式を丸呑みしたまま、物語をつくろうとしました。

 だから、小説ではできない表現があることをぼんやり徐々に覚えはじめてもどかしく、数字の色のことを表わしたくて、いま考えれば詩のようなものを(まあよくとればでしょうか)書いていました。

 いまだそうですが飲み込みの遅さは折り紙付きで、そのときも表現できないのは小説についてという根本を知らないからかもしれない、と思って文学部のある大学に進んでみました。

 小説では表現できないというふうには考えられないところがいまとかわらず要領が悪いな、と思います。


 そんなふうにそれらしく振り返れば、けっこう長いこと文字を書くということにそれなりに愛着をもって半生過ごしていたと思います。


 文章を書いていることは、三〇代に入ってしばらく経つまでひとにまったく言えなかったです。


 近しいひとに勇気を出して告白しても、小説を書いていることでやっとでした。詩を書いている、といった途端、ああ夢見がちでファンシーな勘違いちゃんね、と思われるのじゃないか、とこわかったのです。

 それでなくともわりあい浮くタイプでしたから、せっかくいま周囲に馴染んだというのに、あらためて遠巻きにされること、その痛みを大人になったいまたたき込まれるのはどうしても避けたかった。


 その枷というものが書くことにも影響していたのだなあ、と強く思います。

 当時は枠内でなけれればいけないと思っていました。

 だれからも「夢見がちでファンシーな勘違いちゃん」が書いたと思われたくなかった。通常と認識されるなかで、書いていこうとしていた。


 いま考えれば欲ばりでした。


 わたしには周囲の規定に則した日々の生活のなか、詩を書くことは禁忌に近いものがありました。

 だから現代詩に魅了され、知れずキーに向き合って書いても、それはどこか既視感のある、だれかのなにかの劣化コピーにしか見えなかったです。まったくつまらないもので、つまらないものだとわかっていても、このコピーの書きかたから抜け出す方法がわからなかった。


 けっきょくそこから抜け出したきっかけは、恩師の死と、そしてワークショップでした。


 長くなったので、また次回に気が向けば綴ると思います。


 どうぞよしなに。



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